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秋月(あきづき)は、大日本帝国海軍の駆逐艦〔#達昭和16年5月(1)pp.48-49『達第一五六號 昭和十五年度ニ於テ建造ニ着手ノ敷設艦一隻、一等驅逐艦一隻、一等潜水艦一隻及驅潜艇二隻ニ左ノ通命名ス|昭和十六年五月十五日 海軍大臣 及川古志郎|株式會社播磨造船所ニ於テ建造 敷設艦 若鷹(ワカタカ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 一等驅逐艦 秋月(アキヅキ)|呉海軍工廠ニ於テ建造 伊號第七十六潜水艦(以下略)』〕。一等駆逐艦秋月型の1番艦である。秋月の艦名は片桐大二の研究によれば秋の月の意味〔『聯合艦隊軍艦銘銘伝』p341。〕。対空能力に優れた防空型駆逐艦として開発され、太平洋戦争(大東亜戦争)後半の艦隊防空を担当した。ソロモン諸島を巡る戦いでは、水雷戦隊旗艦として行動する事も多かった。 戦後、海上自衛隊の護衛艦として「あきづき(初代)」、「あきづき(2代)」が就役した。 == 艦歴 == 1939年(昭和14年)度のマル4計画による乙型一等駆逐艦の第104号艦として建造がはじまる。舞鶴工廠にて1940年(昭和15年)7月30日に起工〔#国見 軍医19頁〕。1941年(昭和16年)2月に軍令部が策定した計画では、大和型戦艦や改大和型戦艦、航空母艦の直衛艦として乙型駆逐艦(秋月型)を大量配備することが検討されている〔#別表第1〜別表第6pp.25-27『別表第六 昭和二十五年度帝國海軍戦時編制案 聯合艦隊ノ部』〕。5月15日、正式に秋月と命名〔、一等秋月型秋月として登録される〔#内令昭和16年5月(2)p.9『内令第五百三十五號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十六年五月十五日 海軍大臣 及川古志郎|軍艦、敷設艦ノ項中「蒼鷹」ノ下ニ「、若鷹」ヲ加フ|驅逐艦、一等夕雲型ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ |秋月型|秋月|(以下略)』〕。7月2日附で佐世保鎮守府籍〔#内令昭和16年7月(1)p.16『内令第七百六十三號 驅逐艦 秋月 右本籍ヲ佐世保鎮守府ト定メラル|昭和十六年七月二日 海軍大臣 及川古志郎』〕。7月26日に進水〔#国見 軍医20頁〕。 同年9月12日に内示された『昭和17年度海軍戦時編制』によれば、秋月型3隻(秋月、照月、初月)で第25駆逐隊を編制予定〔#昭和17年度帝国海軍戦時編制・駆逐隊他p.1『佐世保|第二十五驅逐隊|《秋月》《照月》《初月》|(戦時編制ニ依ル所属)第七航空戦隊』〕、第25駆逐隊は空母鳳翔および特設航空母艦2隻と『第七航空戦隊』を編制予定であった〔#昭和17年度帝国海軍戦時編制p.5『第七航空戦隊|鳳翔、《第二十五驅逐隊》|特設航空母艦二|横須賀佐世保(特設艦船部隊ノ所管鎮守府)|呉(集合地)』〕。だがこの編制を実現する前に太平洋戦争が勃発したため、秋月型3隻(秋月、照月、初月)が鳳翔と実戦に参加する事はなかった。 なお他の航空戦隊は、第一航空戦隊(空母《翔鶴、瑞鶴》、第11駆逐隊《吹雪、白雪、初雪》)、第二航空戦隊(空母《蒼龍、飛龍》、第12駆逐隊《叢雲、東雲》)、第三航空戦隊(空母《瑞鳳、祥鳳》、朝風、春風)、第四航空戦隊(空母《龍驤、飛鷹、隼鷹》、第3駆逐隊《汐風、帆風、旗風》)、第五航空戦隊(空母《赤城、加賀》、第51駆逐隊《白雲、薄雲》)、第六航空戦隊(特設航空母艦3、第31駆逐隊《長波、巻波、高波、大波》)という戦力である〔#昭和17年度帝国海軍戦時編制・駆逐隊他p.1『昭和十七年度戦時驅逐隊編制豫定表』〕〔#昭和17年度帝国海軍戦時編制p.5『艦隊|第一航空艦隊|第一航空戦隊/翔鶴、瑞鶴、第十一驅逐隊|第二航空戦隊/蒼龍・飛龍・第十二驅逐隊|第四航空戦隊/龍驤、《飛鷹》、《隼鷹》、第三驅逐隊|第五航空戦隊/赤城、加賀、第五十一驅逐隊|第六航空戦隊/《第三十一驅逐隊》/特設航空母艦三』〕。 1942年(昭和17年)3月20日、日本海軍は睦月型駆逐艦三日月・吹雪型駆逐艦東雲・陽炎型駆逐艦親潮艦長等を歴任した金岡国三中佐を秋月の艤装員長に任命する。 5月20日、金岡(秋月)艤装員長は転任。朝潮型駆逐艦山雲駆逐艦長古賀彌周次中佐が秋月初代駆逐艦長に任命された〔#秋月型(潮2015)11頁〕。 秋月の完成(竣工)は5月25日を予定していたが公試で主砲塔に不具合が判明し、6月中旬に延期された〔#S1705舞鎮日誌p.10『(1)新造艦船工事 秋月巻波及初月ノ艤装工事竝ニ第百二十五號艦、第三百四十號艦及第三百四十一號艦ノ建造工事ハ概ネ順當ニ進捗シツツアリシモ秋月ハ公試ノ結果砲塔ニ不具合ノ點アリ又俯角制限装置機構ニ手直シヲ要スル所アリシ爲五月二十五日完成豫定ヲ變更ノ已ムナキニ至リ完成期日ヲ六月十九日ニ延期セラレタリ』〕。当時の舞鶴鎮守府は、秋月以外にも秋月型3番艦初月・夕雲型駆逐艦巻波・島風型駆逐艦島風の建造や〔、損傷した那珂、大潮、薄雲等の修理を行っていた〔#S1705舞鎮日誌pp.10-11『(2)艦船其ノ他ノ工事 利根筑摩第三十四驅逐隊及第三十三潜水隊ノ整備工事竝ニ薄雲ノ特定修理工事、大潮ノ損傷復舊工事、其ノ他艦船兵器及陸上部隊ノ主要造修訓令通牒工事ハ概ネ豫定通進捗中ナリ』〕〔#S1706舞鎮日誌p.9『(2)其ノ他ノ工事(a)損傷復舊工事 薄雲工事=豫定通進捗中ニシテ七月末完成ノ豫定/大潮工事=目下現場調査作業豫定按畫中/那珂工事=損傷復舊竝ニ改装工事ノ爲本月二十一2日入港セリ (b)天龍、龍田工事=本月十五日完成/呂六三潜水艦工事=本月八日完成現地ニ向ケ出港セルモ途中主電動機電動子燃損ノ爲十日歸投セルヲ以テ換装工事中/名取工事=本月十七日入港整備工事中/三十一驅潜隊工事=本月二十七日入港直ニ工事着手セリ/神威工事=本月二十九日入港〃』〕。 6月5日-6日、ミッドウェー海戦で日本海軍は主力空母4隻(赤城、加賀、蒼龍、飛龍)と重巡三隈を喪失、秋月は砲塔の不具合を解消しないまま急遽作戦に投入することになり、完成予定日を繰り上げて6月11日に竣工した〔#S1706舞鎮日誌pp.8-9『(1)新造艦船工事 前月ニ引續キ秋月、巻波及初月ノ艤装工事竝ニ島風、第三四〇號艦及第三百四十一號艦ノ建造工事ハ概ネ順當ニ進捗シツツアリシモ秋月砲熕公試ノ結果不具合ノ點アリ完成期ヲ六月十日ニ變更セル處尚俯角制限装置機構手直ヲ要スル爲更ニ六月十九日迄完成期ヲ延期セラレタル處作戰ノ関係上砲熕機能試験ヲ省略シ六月十一日引渡ノコトニ大臣ヨリ指令アリタルニ付任務ニ差支ナキ程度ニ整備ノ上十一日竣工引渡ヲ了ス』〕〔#秋月型(潮2015)73-75頁『秋月』〕。 同日附で警備駆逐艦〔#内令昭和17年6月(1)p.36『内令第千四十四號 佐世保鎮守府在籍 驅逐艦 秋月 右警備駆逐艦ト定メラル|昭和十七年六月十一日 海軍大臣 嶋田繁太郎』〕。竣工後ただちに実戦配備され、吹雪型駆逐艦朧と共に第五航空戦隊の空母瑞鶴への護衛を命じられた〔#S1706横鎮日誌(2)p.12『11日1350横鎮長官→朧、秋月駆逐艦長/横鎮機密第八七五番電 朧及秋月ハ連合艦隊司令長官ノ作戦指揮ヲ受クベシ 両船ハ五航戦機密第四九六番電ノ如ク行動スベシ』〕。これは6月5日-6日のミッドウェー海戦で南雲機動部隊が壊滅したのち、アリューシャン列島方面でもアメリカ軍機動部隊出現の徴候があったため、北方部隊(第五艦隊基幹)を増強する必要があったからである〔#叢書29北東方面258頁『敵艦隊邀撃作戦』〕。 連合艦隊は珊瑚海海戦以降内地で待機していた空母瑞鶴とミッドウェー海戦から戻った駆逐艦浦風に対し、北方部隊・第二機動部隊(龍驤、隼鷹、瑞鳳)編入を下令する〔#叢書29北東方面260頁『聯合艦隊司令長官発十三日1500 (イ)五航戦(翔鶴欠)及警戒駆逐艦(第一航空艦隊司令長官所定)(以上第二機動部隊ニ編入) 朧、秋月ハ瑞鶴北方部隊ニ合同迄四航戦司令官ノ作戦指揮下ニ入リ任務終了後本籍軍港ニ帰投(以下略)』〕。朧、秋月に対しては、北方へ向かう2隻(瑞鶴、浦風)の往路護衛を指示した〔。舞鶴を出港した秋月は横須賀へ向かう予定を変更して、そのまま呉へ移動〔。空母瑞鶴、駆逐艦3隻(朧、浦風、秋月)は6月15日内地発、途中キスカ島上空での敵重爆迎撃作戦発令と撤回などがあり時間をとられ、6月24日大湊へ到着した〔#第五艦隊日誌AL作戦(2)p.7『麾下(指揮下)艦船部隊ノ行動 五航戦 瑞鶴・浦風』〕〔。同日附で秋月、朧は瑞鶴、浦風護衛任務を解かれ東京湾方面部隊に編入〔#S1706横鎮日誌(5)p.2『一.駆逐艦朧、秋月ヲ東京湾方面部隊ニ編入ス|二.朧、秋月ニ対シ五航戦入泊セバ成ルベク速ニ横須賀ニ回航原隊復帰ヲ発令ス(以下略)』〕。2隻は横須賀に戻った〔#国見 軍医21頁、河原崎勇(秋月水雷長)談。〕〔#S1706横鎮日誌(5)p.3『七.秋月1730朧1800横須賀帰着』〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「秋月 (駆逐艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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